MIZWA時代むかし話
私は1984年4月 MIZWA整備課に入社しました。
ポルシェを整備できる期待感でワクワク入社したことを今でも忘れません。
しかし、研修やら何やらで一向にポルシェに向き合うことができずでした。
一刻も早く、先輩方からポルシェの触り方を教わり、先輩たちのようにロードテストで目黒通りを疾走!
なんて夢の夢でした…
工具の支給は無く1年間は先輩のアシスタントで、
手術のコントによくある「メス!」と言われたらメスを渡すように、
先輩の仕事を見ていて今だ!17のスパナ ハイ! ちがう17のメガネ!
なんていうやりとりをしていました。
1年経って待望のツールボックスNo.47を支給され、それはそれは大事に毎日磨いていました。
しかも工場内のポルシェの移動も許されたのでした。
自分の整備したポルシェの助手席に乗ってロードテストをして、
先輩に調子良いねと言われ感動して、一生この仕事を続けようと心に誓ったのでした。
3年間目黒通りを疾走するロードテストは許されなかったんですよ!むかしだなぁ…